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2009年1月

2009年1月23日 (金)

ダルフールの背景

ダルフールの背景

(アムネスティUSA支部のDarfur Now Film Guideより)

2003年2月、2つの反政府武装勢力であるスーダン解放軍(SLA)と正義と平等運動(JEM)が、スーダン政府が遊牧民による襲撃から地元の村人を守っていないことやこの地域の経済的周縁化に抗議して、政府軍部隊を攻撃した。2003年3月、スーダン政府はジャンジャウィードと呼ばれる代理民兵の武装化を含む軍事攻撃でこれに応じた。

ダルフールにおける紛争は、組織的で広範な殺人・拷問・強かん・誘拐・略奪・強制失踪を含む、多くの想像できうるなかで最悪の人権侵害を引き起こしている。家屋や村すべてが完全に燃やされている。農作物や牛の窃盗や故意の破壊も蔓延している。数十万人もの民間人が殺害された。ダルフールの約260万人の民間人が家を逃れ、そのうち24万人はチャド東部で難民として正式に記録された。約17万人のチャドの民間人もまた家から避難した。

400万人以上の民間人が、これはダルフールの全人口の3分の2である、この紛争によって影響を受けている。SLAやその他の反政府勢力を含む、紛争のすべての当事者は人権侵害を犯している。しかしスーダン政府や政府の支援を受けたジャンジャウィードは組織的かつ広範な人権侵害に対する主な責任がある。

ダルフール紛争はチャド東部および中央アフリカ共和国(CAR)北東部に各国における既存の不安定さを高めながら飛び火している。ダルフールと同じように、殺人・拷問・強かん・誘拐・強制失踪・略奪・財産の破壊を含む、組織的な人権侵害がチャド東部とCAR北東部で起きている。チャド東部の民間人は増大する計画的で標的とされた攻撃に苦しんでいる。村々は略奪され破壊され、住民は強制的に追い出された。不安定な状態の風潮はコミュニティにおける民族間の緊張を高めている。

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スーダン野党指導者が逮捕される

スーダン野党指導者が逮捕される

アムネスティ国際ニュース(2009年1月16日)

スーダンの野党指導者が、国際刑事裁判所(ICC)に出席するようにそしてダルフール紛争において犯された国際法の下の犯罪への自らの責任に向き合うように、スーダン大統領に要請した後に逮捕された。

ハッサン・アル・ツラビ(人民国民議会党(PCP)の指導者)は、スーダンの国家諜報安全保障機関(NISS)の武装した職員によってハルツームの彼の自宅から1月14日に連れ去られた。彼はそれ以降隔離拘禁されており、起訴もされていない。

アル・ツラビの逮捕は、彼がPCPの事務所でジャーナリストに話をした2日後に起こった。彼はジャーナリストたちに、アル・バシル大統領はICCに出席し、スーダンのさらなる国内危機や崩壊を救うために裁判を受けるべきだと話した。

彼は、アル・バシル大統領が政権を握ったことで、殺害、強かん、強制退去および村の焼失といった犯罪に政治的責任があると言った。これらの犯罪は2003年の紛争が始まって以降ダルフールで起きている。

ツラビは、スーダンにおいて表現の自由という権利を平和的に行使しただけで拘禁された、人権活動家やその他の一連の人びとのうちの最新の人間である。逮捕され拘禁された人の中には拷問され、虐待された人もいる。

これらの逮捕は2008年7月14日以降にとくに起きている。その日、ICC主任検察官ルイス・モレノ・オカンポは、アル・バシル大統領に対するジェノサイド、人道に対する罪、戦争犯罪という10の訴因の逮捕状を発行した。

アル・ツラビの家族も彼の弁護士も、彼の逮捕の理由を公式に連絡されていない。彼の家族は、彼がどのように取り扱われているのか、あるいは、彼の健康がどのような影響を受けているのか分からない。最初NISS拘禁センターに拘留された後、アル・ツラビはハルツームのコバー刑務所に移送された。

彼の家族は、最初はNISS拘禁センターまで彼を追ったが、彼と一緒に入ることを認められなかった。NISSは、その後家族が彼に彼の薬や特別の食物を渡すための、面会の許可を拒否している。アル・ツラビは77歳になるところであり、薬や特別食が必要である。

アムネスティ・インターナショナルは、アル・ツラビの逮捕は彼が1月12日にジャーナリストに話した内容に応えて実行された恣意的なものであると考えている。アムネスティはスーダン政府にハッサン・アル・ツラビをはっきりと犯罪で起訴するか、彼を直ちに釈放するかを行なうように要請する。またアル・ツラビにすぐに家族との面会や法的代理人、彼が必要な医療措置を許可するように要請する。

アムネスティは、また表現の自由や集会の自由といった自らの権利を平和的に行使した人権活動家や野党関係者への嫌がらせや違法な逮捕をすぐに中止するように要請する。

アル・ツラビは、オマル・アル・バシル大統領が権力を握った1989年のクーデターにおける重要人物のうちの1人であった。彼は1990年代終わりに大統領と不仲となっている。

彼は2001年2月から5月までコバーに投獄された。その後大統領令によって恩赦となる2003年10月まで自宅軟禁となった。彼は裁判にかけられなかった。彼は2004年から2005年にも再び投獄された。

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